なぜ母親の煮物の味は再現が難しいのか

お母さんがつくる煮物(イメージw)

母親が作るご飯が大好きだ。
それはやっぱり一番回数多く口にしているものだからとも言えるし、うちは食材だとかにすごく気を遣っているタイプだったから、単に料理としてのクオリティが高いからだともいえるだろう。

外でお金を払ってものを食べるより、家でおかずと山盛りの白ご飯を食べてお腹いっぱいになったほうが僕は満足感が高かった。もちろんこれは食に対する満足感のみの話で、外でお酒を飲むとか誰かとくだらない話で盛り上がるとか珍しいものを食べるとか、そういった付加価値はまた別の話である。

で、そんな中でも、煮物を食べたときの感動はいつも他と違った(特に肉じゃが!2日目のだとさらに旨い)。昔から思っていたけど、我が家の煮物はすごくおいしい。今たまに食べることがあってもやっぱりそう思う。

母親が作っていた料理を再現してみる

僕はもともと料理が大好きだし、調理器具を色々集めてみたり食器にこだわってみたり、キッチンを使いやすくいじくりまわしてみたりとかやっているタイプだから、当然自炊をする。

でもいくら料理が好きだといっても、献立というか、毎日メニューを考えるのは難しいから、自然と母親を参考にする運びになる。学生の時からよく、料理のいろはとか「お母さんの知恵」みたいのを教えてもらっていたので、だいたいのものは入ってる食材だけ教えてもらえたらなんとなく近いものは作ることができた。

ただし、煮物はそうはいかなった。

よくひとり暮らしを始めた人が自炊してみたとき、僕が今言ったことと同じ流れで色々作ってみたけど全然違うものしか出来上がらない、という話を聞く。
僕の場合これはほとんどの料理で当てはまらなかったけど、煮物(またしても特に肉じゃが)だけは全く思い通りにならない。憎たらしいやつめ。

なぜ煮物だけなのか

僕のいつものくだらない癖で、こういう感覚的で抽象的な明確な答えなんか明らかになさそうなものでも、自分を納得させるために理詰めしていきたいのだ。ただしこのアホみたいな理屈頭のおかげで、こんな誰もブログにしなさそうなテーマを堂々と投稿できる。

というわけで、ここからその理由を考えていく。

まず、煮物に限らず、一般的に上記の問題が起こりうる可能性がどこにあるか列挙してみる。

  1. 食材が違う
  2. 調理方法が違う
  3. 調理器具、その他環境が違う
  4. 出来上がる絶対量が違うことに起因するなにか
  5. 気のせい

この記事の趣旨的には1番、2番は完璧にクリアしていると仮定する。
事実、さっきも言ったが僕の場合は煮物以外はこれで問題なく攻略できた。

すると残りは3番、4番、5番になる。
ひとつずつ見ていく。

調理器具、その他環境が違う

調理器具っていうと、包丁・まな板、フライパンとか鍋類、菜箸・トングとかそういった感じだろうか。

台所の環境のほうは、コンロの火力くらいしか思いつかない。中華料理でも作っているなら重要な要素になるかもしれないが、煮る作業にそんな強火はいらないので、これは気にしない。もし山奥で薪を焚いて火力調整とかしているって人がいたら、 …知らん。勝手にしてくれ。

そういうわけで、関係ありそうなのは包丁と鍋。

包丁は、その切れ方によって食材の味を大きく変える可能性がある。特に肉類はあり得る。さくっと切れ味よく切るか、ぎこぎこ叩くように切るかで繊維の切断のされ方が変わるからだ。ちなみに余談ですが、繊維に対して垂直に包丁を入れるのがお肉の基本的な切り方なので覚えておくといいと思いますよ。

鍋。こちらはどうだろう。
火の通り方、煮込み具合なんかはかなり個体差があるだろうから、影響はあると思っていいと思う。意外と、味の染みこみ方に違いが出たりするのかもしれない。真相は分からない。いつか試してみたいです。

出来上がる絶対量が違うことに起因するなにか

おそらく何を言っているのかご理解いただけないと自分でも思う。申し訳ない。

一般的に、お母さんが家族のために料理をするときは、家族の人数分、もしくはそれより少し多い位を目安にして作るだろう。つまり、1人分よりはるかに多いのである。ここがポイントだ。

自分で作ることになると、当然1人分かそれの少し+αくらいしか作らなくなるわけで、「食材の量は教えてもらったレシピの何分の一」みたいになってくる。料理は方程式ではないから、いくらきっかり計算したとしても、その絶対値が違えば完成形に差異が生まれてもおかしくはないのでは、ということが言いたいのである。

ただ、正直、大したことないと思うw
あくまでも可能性の列挙だったということで。

気のせい

大穴かな(爆

料理というのは音楽と非常に似ているというのは僕の常々思うところだが、こういうものほどやっぱり精神的なものの影響は大きい。思い込み補正というのかな。「母さんが作ってた煮物なんて絶対に再現できないだろう」みたいな先入観から、客観的な味の判断を出来なくなっているのかもしれない。なぜこんなにこの母親が神格化されているかは僕も分からない。

僕自身長いこと関わっている音楽でも、やっぱりこれはある。いわゆる「このジョセフジョースターが戦いにおいて貴様なんかとは年季が違うって事をこれから思い知らせてやる」じゃないけど、経験を重ねている方の演奏っていうのは、若い天才肌みたいなタイプとは言葉では言い表せないたしかな違いがある。でもその正体は分からない。そういうものなんだろうと思うことにしている。

肉じゃがもそういうものなんだろう(適当

結論

そうはいっても、やはりひとつ以上論理的な答えを出しておきたいのでなんとか考えた。

その答えには、鍋を選んだ。
一番筋が通りそうだったので、こじつけに近いけれどなんとかしてみた。

この鍋、世のお母さんたちが家庭で何度も使う内に煮物の味を覚えていっているのではないかと思った。もっと具体的な言い方をすれば、鍋に味が染みこんでいるというか、煮物を作るのに適応していっているというか、そんな感じ。

楽器でもこれはよくある話だから、あながち間違ってはいないと思っている。残念ながら実験できないのだけれど…。機会が訪れたらぜひ試してみたいものだ。

ちなみに、この結論によって煮物だけでしかこの問題が起きなかった理由もちょっとだけ説明ができる。

たとえば、フライパンで野菜炒めをつくるときと、大きめの鍋で肉じゃがをつくるときとでは、食材達が鍋に触れている時間が違う。要するにその鍋から影響を受ける時間もそもそも違うし、鍋の最適化(笑)の進行もよりはやいのではないかと考えられるのだ。

・・・

とまあ、そんな感じでいいだろうか。文字にして自分でもスッキリした感があるので次からは同じように味を感じられるようになっているかもしれない(←結局気のせいだったということになっている)。
ありがとうございました。

 

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