打楽器のチューニングを教えるってなんだ?

打楽器を教える側の立場になってしまうと必ず訪れるのが「チューニング教えてください問題」である。そしてこの次の瞬間に質問者が受ける返答はまず間違いなくこうだ。

「それは自分で触ってみて覚えていくしかないかな」

残酷な事実だよね、うん。

回答する側はそれなりの答えを持っている(はず)なのにも関わらずなんで出てくる答えはこうなっちゃうんだ?というのをこの間初めてちゃんと考えてみた。というより、そもそも聞かれたときにどうして自分が普段やっているチューニングの方法を素直に答えないのか自分で自分に疑問を感じたときに気づいたんだけれども。

教えることになるんだとしたらたぶん「今自分が日常的にやっているチューニングをそのままやり方だけ伝える」になると思うんだけれど、この「やり方だけ伝える」ってところに問題がある。

その教える側の人もね、今の自分のチューニング方法って色々な経緯があってそこに落ち着いていると思うわけですよ。最初は誰かのを見よう見まねでやってみて、うまくいかないところを自分でやってみたけど誰かに「それ間違ってるよ」とか言われて、「じゃあ結局なんなのよ!?」ってところに全然違う人から「この方法だけやっときゃだいたいOKだよ」とか言われてちょっと取り入れてみたりするんだけど、本番の日には予想外の要因で全然役に立たなかったり…とかさ。まあ全部僕のことなんだけども

まったく大事ではないところが太字になったところで本題に戻るけど、要はチューニングってこの「それぞれの奏者自身の経験の塊」だと思うのね。それ自身を体現しようとしたときの1つの目に見える結果というか。

もっと言うと、その人のたいこに対する考え方とかそれまで出会った人たちとの結果?みたいなもの?とか普段の練習事情、生活の背景とか全部考えられた上で絶対に行われているもののはずなんだよ、チューニングっていうものはさ。

じゃあそこで「自分がやっているチューニングの方法だけ教えるよ」ってなったらどう?

勘違いしないで欲しい、今から言うことは「それまでの自分の経験の結果をタダで教えるのがもったいない」とかそんなくだらんことじゃない。そんなことは微塵も思ってはいなくて、じゃあ何が言いたいかというと、「考えてきた過程は一切伝わらないのに、その手順だけを伝えるのってめちゃめちゃ悲しくないですか?」ってこと。

さらに言うと、結局形式的にしか伝えないということは理屈や理論は(まああるんだけれど)とりあえず置いておいて「この方法だけやっときゃだいたいOKだよ」になるじゃん。あれ、このセリフさっきも聞いたような?

あとは奏者目線で考えると、裏付けが一切ないのに手順だけ教えるって果たして本当にちゃんと伝わるんだろうか?っていう不安しかないと思うんだよね。この「悲しい」とか「不安」みたいな気持ちがすごく先行して、なんとなくチューニングの方法を教えるのに対して抵抗を感じているドラマーって多いと思う。

だから予防策を張る意味で、レッスン中にこういう会話があるときって必ず語頭に「”僕は”~こうしてるよ」とか「”俺の場合は”~だけどね」みたいになるんだよねえ。次こういう機会に出くわしたら注意して聞いてみるといい。賭けてもいいけど、100%言っていると思う。

ってなわけでおそらく相手には打楽器人生で色んな人から言われるチューニングトークの1つに終わってしまうのでしょう。でもやっかいなのが、自分もそういうのを糧の1つにして育ってきている以上、自分もまた他者へそれを提供するべきっていう考え方はたしかにあるだろうなということ。そもそも誰かのためになれるのは喜ばしいことですらあるもんね。

とは言いつつもやっぱり自分で模索していくことがその人にとっても最も近道になるだろうし、こちらも不要な悲しみは背負いたくないので、一番最初に登場した日本中?世界中?で繰り広げられているであろう悲しい問い、「チューニングはどうやってやればいいですか?」に対する最も適切な返答は「自分で触ってみて覚えていくしかないかな」になるであろうことがなんとなく理解できるかもれない。

それどころか実はものすごく理にかなった素晴らしい答えだったんじゃないかとさえ、今では思っている。今まで生きてきて「やんなきゃ分かんないよ」なんてセリフは耳にタコができるくらいどこにいようが聞いてきたわけだけど、その中でも本っ当に「やんなきゃわかんないもの」を1つ挙げろと言われたら僕は迷わずチューニングを選ぶ。

そうは言っても最初の取っ掛かりが欲しい気持ちは死ぬほど分かるので、そういうときはなんとか一般化しようと頑張ってくれている教本なり雑誌なりに頼るのは大いにアリだと思う。

この記事を読んでくださる方が今回の登場人物でいうどっち側の人間かは分からないけど、たいこのチューニングっていうものをなんとなく面倒でやっかいなものだと捉えているタイプなら、そうではなくてとっても深いものと思ってくれると僕は嬉しいです。いや、別に僕は嬉しくないな、その未来で質問される予定だったはずの人が困らなくなるから嬉しいのはその人なのかな、まあ、なんでもいいや。

 

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