【良い文章を書く方法】読まれる文章を書きたいなら「説明文」であるな!

【良い文章を書く方法】読まれる文章を書きたいなら「説明文」であるな!

主にブログやコラム記事なんかの文章を読んでいて、「この文章すごくおもしろいな」と思うことがあるよね。

そういうときって、だいたい内容だけを読んでいる/得ているんじゃなくて、文章や言葉そのものをコンテンツとしてちゃんと吸収していることに気付く。

つまり、「良い文章」というものはただ形式的に話の中身を伝えるという側面だけではなくて、細かなニュアンスや「筆者自身の雰囲気や思い」まで読み取れる文章であると僕は思っています。

そこにはたしかに「人間的な魅力」があって、お堅い論文を読んでいるのとは違うものだと確信しています。そうなれているかは別として、僕もこのブログではいつもそこを目指して執筆しています。

たとえば

そもそも僕自身がそのスキルを身に付けているかは怪しいので、パッと上手な例を示すのが無理なのはもっともなんだけど、僕が思うイメージだけでもがんばって伝えてみたい。

口調・文体

「雰囲気」っていう意味ではここはかなり大きいと思っています。

日本語では同じ意味を表す異なる言葉が本当にたくさんあるので表現の幅は世界の言語のなかでも随一です(いつものようにソースを探したけどちょっと見つけられなかった…。でもこれは割と言語学者の間とかでも言われていたことのはず)。

英語では「I」の一文字で終わってしまう「自分」も、日本語では「僕」になれたり「私」であったり、ときには「アタシ」かもしれないし、果ては「我」かもしれない…。

この「表現の適切な選択」だけで、十分に文章の雰囲気のコントロールを担える。

例えばこのブログでは一人称を「僕」に統一している。男の子のかわいい感じも備えながら大人になっても汎用的に使える一人称で、偉そうでもなければシャイでもなく素直な感じを与えられると思っている(改めて文章で表現するとちょっとアレだねw)。ネット上で読む文章で「俺」なんて書いてあるものがあったら「なんか頭悪そうなやつだな…」とか思いません?
「私」もありかもしれない。もう少し大人っぽい感じが出て、自分自身が確立されているような印象を受けるかも。


文体の例では、例えば「文末をですます調にするかそうでないか」などが分かりやすい。

ブログ界隈で一般的に言われているのは、「ですます調は丁寧な印象は与えられるが共感させる能力は低い」ということ。

読者と一緒に悩みを解決したりしていく記事なら、ある程度敬語の使用頻度を低くすることで読者との距離を縮めることができるでしょう。レビュー記事なら、口語調にすることでよりリアルな感想と受け取ってもらえるかもしれない。

僕の場合はこの記事でも分かる通り「混在」パターンを取っていて、うまく調整しながらバランスを取っている(と思っている)。

もちろんここはその文章を書く場がどんなところかによって制限されてしまうことが多いので、その範囲でがんばることになる。毎日お母さんにバリバリの尊敬語/謙譲語を使う人もいまい。
でもエントリーシートとかだったら、奇をてらって全部タメ語みたいなのが評価されたりすんのかな?笑

その他にも文の組み立て方とか品詞の配置・配分など、読み手が無意識に受ける「文の印象」を左右する要素っていうのは文体に非常に多い。

もう少し具体的なレベルで意識してみたい人は、文章のうち、「ひらがな」の部分に気を配ると文章力がグッと上がるでしょう。僕も一番意識しているポイントです。

「伝える意識」がある?

文章だからといって、舐めてはいけません。

本当に相手に伝える気がある文章なのかどうかは、ある程度能力のある人からは一発で見抜かれます。

僕の経験則だけど、「人前に立って話すのが上手な人は文章も上手い」と思っている。「なにをそんな当たり前のことを」と思った方、ちょっと待って?冷静に考えたら「人前で話すのといくらでも時間がある文章作成なんて大違い」だって思ってなかったです?

実は、「手段による違い」以上に「相手に伝えるという共通点」の方が全然大きいです

話すのが上手な人って「どうやったら相手が分かってくれるか」を常にイメージしながら口を動かしているので、これは当然文章を書くときでも同じことが起きる。自分が書くのと同時に相手が読んでいる気持ちになっている感じ

「ひとりよがりな文章」なんてよく言われたりするけど、まさにこれと反対のことを意識するといいかもしれない。

語彙

「相手に伝える強い気持ちがあれば語彙なんてなくてもいいんだ!」と言いたいところだけど、やっぱりそうはいかない。

豊富なボキャブラリーは読み手を飽きさせない一番の道具箱でしょう。

しかも、これは文章作成においてはかなりハードルが低くなっているポイントなので見逃すのはもったいない。というのも、文章を考える時間は半無制限なので、いくらでも言葉の引き出しを開けまくる時間があるから。

そうは言っても無い引き出しは開けられないので、普段から語彙を集めておく必要はある。ここについては後ろでもう一度話します。

もしくは、単語だけに限らず「言い回し」についても手を変え品を変え色々入れ込むと楽しい文章になるでしょう。この「日本語の素晴らしさ」を利用しない手はない。

相手に同じもののことを話していると理解させながらスムーズに言葉をシフトさせていけると、無意識下で頭の良さや知見の広さみたいのも感じさせられる。気がしている。

結果的に流し読みなんか絶対にされなくなる

こういう積み重ねの上に出来上がった文章は、決して流し読みなんかされたりはしません。なぜなら、一言一句くまなく読み込めばもっと自分のためになる、と読者に心理的に理解させられるからです。

「Aとは一体なに?」ということが知りたい読者に対して、「それはBです」という答え以外になにも用意ができないなら、読者は「B」以外は一切読まない。そうするとここで流し読み、ないしは斜め読みみたいなことが起きて、がんばって書いた他の部分の価値はなくなってしまう。

「Bである」ことを、もっと正確に、もっと細かく、もっと確実に伝える文章を目にした読者は、「これは単なる『B』じゃなさそうだ」と感じ、さらなる細かいニュアンスやディティールも知りたいがために「頭からもっとちゃんとゆっくり読もう」となってくれることでしょう。

あなたが書く文章は、Wikipediaになってはいけません。

こんなこと書いててこの文章が流し読みされていたら最高に笑えない…

どうすればスキルとして身に付けられるか

文章に限らず、相手になにかを伝えるスキルは一朝一夕で身につくものではないのはご存知の通りです。が、裏を返せば日頃の積み重ねで伸ばせるステータスであるということも間違いない。

死ぬほど本を読む

「絶対言うと思った」って思いました?w

だって間違いないもん、これ。誰しもが全員口を揃えて言っているんだから、本当にそうなんです。今まで本を読んでこなかった人は、そろそろ信じてみよう。しかも本は読んだ分だけ自分の世界を広げてくれるから、プラスしかないです。

僕も本はすごい読みます。最近はこのブログ含め発信の方をがんばっているのであんまりだけど、数年前まではジャンル問わず月に15冊くらいは読んでました(「少なっ!」って思った方、カスですみません…。普通の人よりは読んでると思ってます…。)。

大事なのは、なにも本を読んで身につくのは語彙力だけではないってところです。

新しい世界を知れば自分の人間も豊かになって、表現の幅が広がるっていうか表現スキルの底上げがされるような感じがある。

気に入ったものをなんでもいいから読む癖をつけよう!

頭のいい人ととにかく話す

これはさっきの「話の上手い人は文章も上手だ」っていう話と絡んでいて、頭がいい人は「相手の理解に合わせてコミュニケーションが取れる」ので、自分がこれをされているなと感じたときは、その気持ちをよく覚えておくといいでしょう。

また、1体1の対面で話さなくても、例えば講演などで一方的に話を聞くような機会でも十分自分の身になる。むしろ彼らはそういう場所のほうが自分の能力を存分に発揮する可能性の方があるかもしれないくらい。

ちょっと話逸れるけど、僕が考える「頭がいい人を見分ける簡単な方法」っていうのがあって、テストで100点取るやつがクラスに複数人いたらそいつら全員に分からない問題の解説をしてもらうっていうのをおすすめしています。

びっくりするくらいこちらがなにも理解できないようなことしか話せない人が結構いるんですよ。勉強できる 頭がいいっていうのには僕は確固たる確信があって、こういうところでも如実に差が出るなと思っています。その辺の話はこの記事でもしている。

ただし、まれに「本当の天才」と呼ばれる人がいて、彼らは今回の話の対象とはならない。僕も今までの人生で思いつく人が2人だけいるけど、もうこの人達って頭が良すぎて僕ら凡人の世界なんか全く見えていないんだよね。話のスピードがえげつないほど速いし、こっちが口を挟む余裕すら与えてくれないほどずっっっとしゃべっている。笑

「相手に伝える気があるか」という観点でいけば0点かもしれないけど、それでももちろんその時間は相当貴重な成長体験になることは間違いないと思います。

字幕の洋画をたくさん見る

今回の「僕オリジナル部分」はこれ。

字幕って、なるべく短い文章にしなきゃいけなかったり、役者の口が動いている以上の文章量になっちゃったりしてはいけないっていう制約がある。そうすると、なるべく簡潔に、かつ元の意味を損ねないように効率的に観客に伝える必要が出てくる。

しかも、洋画って登場人物がべらべらしゃべらなくて、もともとのセリフ量が日本のコンテンツに比べて少ないじゃん?この「演技と表情で勝負する」っていうのと短い字幕とが相まって、最終的にはこちらの感受性に委ねられるというか、想像力によって楽しむ余地があるというか、「なにをしたら相手はどう感じるか?」をすごく実験されている気がするんですよ。

ここにすごくヒントが隠されていると思っていて、自分がなにか情報を発信する側に立つならよく体験しておくといいんじゃないかなって思ってます。ハリウッドスターのかっこいい演技を見たら、なんとなく自分も心で真似したくなるというか、そういう純粋な気持ちが表現力の向上に繋がるんじゃないかっていう感じ。

さっそくだけど伝えるの難しい。w

アウトプットする量を増やす

やはり練習あるのみっていうことで、理論ばっかり気にしてても仕方がないのでとにかく文章自体を書いて訓練を積まないとだめっていうことです。

1文1文の話だけではなくて、例えば「より理解されやすいアウトラインは?」「段落構成は?」「話の展開の仕方は?」とか、ちょっと話の対象は広がっちゃうけどそういうものもあるわけで、この辺は慣れによって向上する部分がかなりあると思います。

自分で書いて自分で読む。常にインプットを得ながらこれを繰り返していけばきっと自分も「良いアウトプット」に近づけるはず!何事もまずは手を動かそう!って話ですね。

使いどきはいつでもいいわけではない

物事には目的というものがあって、今回の話でいうところの「良い文章」がどの状況でもふさわしいかというともちろんそうではないです。

”お堅い論文”だって、広く汎用的に読まれる状況を鑑みてそれが適当だと考えられているわけで、そこに「著者の人間性や雰囲気」は必要とされていない。もちろん「主観」は含まれていいけど、表現としてはあくまでも論理に則った定式的なものが求められるでしょう、っていうのは周知の通りだと思います。

ここで一応補足しておくけど、今まで話してきたようなものが盛り込まれているものは(適切な目的下では)総じて「良い文章」と言えると思うけど、逆も全てそうだとはもちろん思っていないです。

上述の通り「良い文章」というのはその場の趣旨によって形を変えるはずだし、そもそもこんなものに定義もないので人によって受け取り方が変わることだって大いに有り得る。

今さらになっちゃったけど、これは僕が思っている一意見、くらいにしておけばいいのかなと思う。

さいごに

ここまで読んでいただいた方には具体的にはなんのメリットもない記事になってしまったのかもしれないけど、少なからず検索でここまで辿りついてくれたということは、「どうやったら読んでもらえる文章を書けるかな~」っていうのに近い感情は持っているのだと思うので(思ってるよね!?)、なんとなーくでも1つの情報になれたのでは、とも思います。

僕の文章なんてカスみたいなレベルだということはよく承知しているつもりですが、普段こういうことを気をつけてブログをやっているんだ!っていう話もどこかでちょろっとしたかったので今回はよしとしよう。

ご精読ありがとうございました。

この記事へのコメント  皆様もぜひどうぞ